【買わねぐていいんだ。】4話「水泳で培った、諦めない気持ち」

第一章「ばかばっつ」な末っ子

◆水泳で培った、諦めない気持ち

 コギャルになって勉強もせずにいたときでも、水泳教室だけにはまじめに通っていました。月曜から金曜の夕方5時から8時半までびっしり。どんなに友達と遊んでいても、夕方になると「ちょつと行ってくる!」と抜け出して通っていたのです。
 私が通っていたのは本格的に選手を育てる育成コースで、コーチも怖くとても厳しい練習でした。それでも心の中はいつも「もっと速くなりたい」という気持ちを持っていました。「取り残されたくない」と思ってもうまくできない自分が情けなくて・・・・。泳ぎながら涙が出て、ゴーグルをしているのに前が見えなくなることもあったほどです。
 泳いでいる途中で「あ、もうだめだ」と諦めてしまうことも。そうすると、コーチから容赦なくビート板が飛んできます。「いでぇ!!」と顔を上げると「もう帰れ!」の声。それでも帰れずに、プールサイドでみんなが泳ぐのをずっと見ていました。そこで「最後までちゃんとやっておけばよかったな」と思うのです。
 どんなにきつくても、水泳をやめようと考えたことはありませんでした。家にいるのも自分だし、学校で頭が悪いのも友達と遊んでいるのも自分。でも、水泳をしている時が一番、自分のことを表現できていると感じていました。不思議なことですが、そんな厳しい水泳教室が「自分の居場所」だったのです。

 水泳からは、絶対あきらめない気持ち、人よりも勝とうと努力する強さを学びました。そしてもうひとつ、習い事をしてわかったこと。それは「見られることは楽しい!」ということです。水泳はもちろん、バトンやバイオリンでも、自分は注目されるのが性に合っているということを初めて知りました。
 これはいまの仕事で、姿勢を正して「失礼します」と車内に入っていく瞬間の「見られている」という楽しさに通じています。この緊張感があるからこそ、おしゃれしたりお化粧をして、いつも綺麗でいよう、きちんとしていようと思えるのです。

【買わね買わねぐていいんだ。】3話「落ちこぼれからの出発」

第一章「ばかばっつ」な末っ子

◆落ちこぼれからの出発

小さい頃は内向的な性格でしたが、いろいろな習い事をするうちに人見知りもなくなり、中学へ入る頃にはすっかりませた子に。(笑)。水泳教室で塩素の入ったプールに入っていたために髪の毛は茶色くなり、当時流行っていたルーズソックスも履いて、すっかり‘‘コギャル‘‘になっていました。
 学校では全く勉強せず、成績は常にビリ争い。日本史のテストでも、回答欄に聖徳太子が2度も3度も出てきて「どれか一つは当たるんじゃない」といった具合でした。
 そんな状態のまま3年生に進学し、さすがに両親が「このままでは高校にも入れないかもしれない!」と焦りだしたのです。しかし今から塾に通ったところで、中学1年生レベルさえわからない私は到底授業についていけるわけがありません。結局、3年生の1年間家庭教師をつけてもらうことになりました。

 このときに家庭教師として出会ったのが、当時大学生だったみちこさん。彼女は一番最初に私にこう言いました。
「私がここに来たのは意味がある。家庭教師にきてもらう子にはふたつあるんだ、きっと。もっと頭がよくなりたいと思って頼む人。もうひとつは、本当にどうしようもなく勉強ができないから、勉強を習うために頼む人。このどっちかだと思うの」
 この言葉を聞いたとき、私は心の底から「なるほどなぁ」とおもいました。直接「バカ」だと言われてはいないけれど(笑)、私は間違いなく後者です。でも周りのみんなは、もっともっと頭が良くなりたいと思って勉強しているんだ。そこで初めて、周りと自分はものすごく差がついているということに気付きました。
 私の第一歩は、まず「勉強の仕方を教わること」。私は、恥ずかしいけれどみちこ先生に「私勉強のやり方わからねんだず」と言いました。
 そんな私に先生は「やり方はいっぱいある。たとえば書いて覚える人、心の中で読んで憶える人、部屋中に書いたものを貼って見て覚える人、言葉を録音して聞いて覚える人。その人に合った勉強が必ずあるから、いろいろやってみて」と教えてくれました。
 どうやるのが自分に合うのかわからなかった私は、「とにかく書いて覚えよう」と決めて、ノートを買ってきました。

皆さん驚かれると思いますが、そのときの私はアルファベットが最後までわからないほど勉強ができなかったのです。まず先生と一緒に書いていったのですが、「ABCDEF・・・」とそこからが続きません。でもそのときに先生が横でアルファベットの歌を歌いながら、一緒に書いてくれました。
教えられながら書いていくうちに、「あれ?聞いたことあるぞ」と感じました。きっと習ったばかりの1年生のときには書けていたのでしょう。そこで「ああ、人間は絶対に忘れてしまうものなんだな」と実感したのです。
 このことは、後輩に仕事を教えたり、研修で講師をするようになった現在でも、いつも忘れないようにしています。「人間は必ず忘れてしまう」。だから教える側も、何回も何回もトレーニングをしてあげる必要がある。それがわかっていれば、仕事をなかなか憶えられない後輩にも、イライラすることなく、根気強く教えることができます。
「ABCDEF・・・」のあとの「G」が出てこない私に、何度も何度も歌いながら教えてくれたみちこ先生からは、勉強だけでなく、こういったことも教えてもらいました。

【買わねぐていいんだ。】2話 「堀ちえみに憧れた子供時代」

第一章「ばかばっつ」な末っ子

 ◆堀ちえみに憧れた子供時代・・・・

 私は山形新幹線の車内で、お弁当や飲み物を販売したり、お客さまにご案内をする販売員です。株式会社日本レストランエンタプライズにアルバイトとして採用されて12年。現在はチーフインストラクターという役職をいただき、販売員の仕事とともに後輩の指導を務めています。
 どうして私が新幹線の車内販売員になったのか。きっかけは、子供の頃に観たテレビドラマでした。

 私は山形県天童市で、3人兄妹の末っ子として生まれました。7つと5つ離れた兄が2人おり、私は小さいころから優秀な兄たちと比べられてよく「おめえはほんてん(本当)にばかばっつだにゃあ」と言われていました。「ばかばっつ」というのは山形の方言で、「頭のいい悪い、一番下の子」というような意味です。
 小さいころは人より身体が小さくて食も細い、引っ込み思案だったそうです。ひとつ憶えているのは、幼稚園の発表会でのこと。みんなで太鼓を担いで立ち上がることもできない。みんなが歩きながら太鼓を叩く練習をしている横で、私は立ち上がる練習ばかりしていました。
 性格も人見知りが激しくて、アイスクリームが食べたくても「これください」が言えない。ちゃんと「おいしい」や「ありがとう」をいえない私を見て、両親は「せめて人並みに育ってほしい」と願っていたようです。
 いろいろな経験をして、強い人間になってほしい。ずば抜けていなくていいから、健康で人並みに。そんな両親の思いもあって、私は小さいころから色々な習い事に通っていました。水泳とバイオリン、バトン、ピアノ。なかでも水泳とバトンは、高校を卒業するまで続けていました。

そんな習い事へ行く夕方に、家で観ていた再放送のテレビドラマが『スチュワーデス物語』。主演のキャビンアテンダントを演じていた堀ちえみさんを見ていて、一直線にがんばる彼女の姿に胸をときめかせたことをよく憶えています。
 人よりもできない「ばかばっつ」な自分と、「ドジでまぬけ」な主人公を重ねて見ていた、ということもあるのかもしれません。私はこの時はじめて、「乗り物でお客様に楽しい時間を過ごしてもらう」というお仕事に憧れたのだと思います。