【買わねぐていいんだ。】5話「みんなと違う教科書での高校受験」

第一章「ばかばっつ」な末っ子

◆みんなと違う教科書での高校受験

 こうして水泳と勉強を両立する日々が始まりました。水泳教室が終わってから、夜中まで勉強して。ほとんど寝ずの勉強でくたくたでしたが、段々と勉強する喜びがわかってきたのです。
 何よりも嬉しかったのが、テストの問題内容がわかるようになってきたこと。それまでは、たとえば英語の問題を見ても、何を言っているのかさえわからなかったのです(笑)。それが、少しづつ意味が分かるようになってきて、「こんなことを言っているんじゃないかなー」というぐらいは掴めるようになっていきました。

教室のみんなが3年生の教科書を開いている中で、私一人だけが1年生の教科書。授業にはとっくについていけなくなったので、授業中も「ルート?わかんない。こうなるからこうなるんでしょ?いやちがうべぇ」なんてひとりごとを言いながら、ぶつぶつとやっていました。

 でも、そんなことをやっていれば、当然先生にも見つかります。「茂木、何やっているんだ。教科書違うぞ」と言われた時には、恥ずかしくて悔しくってしょうがなかったことことを憶えています。それでも、初めて「勉強しているんだ!」と言えることが嬉しくて、先生にも強気に「なんだず!今勉強しているんだず」と自信をもって反抗していました。
 そうこうしているうちに、少しづつですが成績が上がり始めます。英語も数学も、問題の意味さえ分からず、時には一桁の点数を取ることもあったのが、40点、50点・・・と点数を上げていったのです。
 しかし、3年生の受験シーズンになってやっと「ABCD]から始めたわけですから、やっぱり受験までには間に合いませんでした。
 結局、私立の女子高校へ入学が決まりました。そこも最初は厳しいと言われていたのですから、私にとっては大変な快挙です。さらに中学最後のテストでは、何と98点という、今までにない高得点を出すことができました。

 実は長く水泳を続けてきて、大会での実績も上げていた私に推薦入学の話も来ていたそうです。しかし、あまりにも勉強ができなかった私を推薦することをためらった中学校側が、高校側との話し合いでうやむやにしたということを知りました。このとき
「大人って嘘つきなんだ・・・」
 と思ったことを今でも憶えています。もちろん頑張らなかった自分が一番悪い。でも、自分だけではどうにもならないことがあるんだと、このときに感じました。

 高校受験では、「やればやったぶんだけ成長することができる」という満足感とともに、大きな後悔も残りました。それは
「これが、生まれて初めて自分が選ぶことのできる、人生の分岐点だったんだな。そしてそのとき私は精一杯頑張ることができなかった」
 ということです。
 人間が生きていく上で選べる分岐点は、そう多くあるものではないと思います。このときに初めてそのことを実感し、このあとにやってくる分岐点では、きちんと進むべき道を選べるようにありたいと考えました。
 とはいえ、たった15歳のませた子供だった私は、このあとの高校生活でも周りの人と衝突し、さまざまな経験をすることになるのですが・・・・。