【買わねぐていいんだ。】6話「自分の居場所を求めて」

第2章目指せ、つばさレディ!

◆自分の居場所を求めて

 私が入学した山形城北高等学校は、現在は共学になっていますが、私がいた頃は山形県最大の女子高でした。そして初めて会う人ばかりのなか、入学早々ある試練が私を襲います。それは何と、「先輩からの呼び出し」。コギャルの格好をしていたとはいえ、とくに目立っていたつもりはなかったのですが、入学式の後すぐにお声がかかってしまったのです。
 いったい何をいわれるのかと思って呼び出された場所に行ってみると・・・
「お前レディースつくるっていってっぺ」
 そんなことはひとことも言っていないのに、上級生に思いもよらない因縁をつけられ、それからは毎朝、休み時間ごとの呼び出し。コギャルは自認していましたが、ヤンキーになるつもりは毛頭なかった私は、どんなに大勢に囲まれても「そんなこといってねえず」」と答え続けました。
 どんなに嫌なことをいわれても、私は決して仲間をつくって対立するようなことはありませんでした。集団で私のところへやってきて因縁をつける先輩たちを見て、私はいつもこう思っていたからです。
「どうして弱い後輩に、仲間をつくってみんなで悪口を言うんだろう。文句があるなら、ひとりで私のところに来て言えばいいのに」
 そして、「集団で呼び出すのは、きっと一人で言えないからなんだろうな。私はそうはなりたくない」と・・・。
 みんなで集まって慣れ合っていたら、こういうことをされて嫌だという相手の気持ち」もわからなくなってしまう。どんな嫌な思いをさせられても、私は絶対に同じことはしない。そんな思いを強くしていたので、クラスメートや先生に助けを求めることもしませんでした。そういった意味で私は学校では一匹狼だったかもしれません。
 それでもクラスには友達も大勢でき、体育祭や文化祭などのイベントのときは先頭に立って参加していました。

ところで、高校受験のときに抱いた大人への不信感は、高校に入ってからも消えることはありませんでした。先生に対しては、「私はいないことになっている‘‘空気‘‘なのかな。けれど、ギャルの格好をしたり校則違反をしていれば、先生は私を叱ってくれる。みてくれる」とも思っていたのです。先生に怒られることで、自分の存在を感じることができていたのです。
 しかも、高校受験のときに知った勉強の楽しさは、新生活の楽しさですっかり忘れてしまい、入学してすぐは中間ぐらいだった成績も、またすぐにビリまで落ちてしまいました。
 授業についていけない私は、授業中も問題を指されることはありません。もちろん指を指されても答えられないのでこちらも困ってしまうのですが、先生から「いないもの」とされているんだな、ということは常に感じ、ひねくれた気持ちを持っていました。
 一度、授業中に隠れて書いた友達の手紙を取り上げられ、クラスメートの前で読み上げられたことがありました。大人になったいまになれば、先生の怒りもよくわかります。しかし反抗心でいっぱいだった当時は、自分の中の大切なものを無残にされた気がして、思いっきり先生へ怒りをぶつけました。
 そんな高校生活で私にとって「居場所」といえるのは相変わらず水泳教室や、夜中まで俳諧して遊んでいた友達との時間でした。水泳教室の仲間とのつらい練習や、そのあとの楽しい会話・・・。そういった時間を大事にしながら、学校の外に居場所を求めていたのです。