第二章目指せ、つばさレディ!
◆東京への憧れと将来の夢
高校生の時の将来の夢は、女優になること。友達からは「バカじゃない!?」とよく言われていましたが、当時の私は本気で「私は女優になる!」と言っていました。
実際、小学5年生の頃に仙台にあるプロダクションのオーデションも受けたこともあります。書類審査が通り、レッスンを受けることになったのですが、その初日が水泳大会と重なってしまい、結局続けることはありませんでした。それでも女優になるという憧れ、そしてコギャルファッションの聖地、渋谷への憧れもあり、高校卒業後はどうにか東京へ行けないかと考えるようになっていきました。
高校を卒業して進む道は、だいたい4つにわかれるかと思います。大学に進学する人、専門学校に行く人、就職する人、そして私のように何もせずにいる人。いわゆるフリーターとなった私は、高校卒業後の半年間ほど目的もなく過ごしていました。
実家にいれば、そこそこバイトして友達と遊んで、気楽に暮らしていけます。しかし、心の底で「このままでは周りから取り残されていってしまう・・・」という不安も感じていたのも事実でした。
そんな私が「しっかり働かなきゃいけない」と気づいたきっかけは、父親の年齢です。
私は遅くにできた子供だったので、父親はあと数年で定年退職が迫っている。いつまでも親に頼った生活を続けることはできないと気づいたのです。
「このまま甘えっぱなしではいけない、きちんと働かなくては」
一念発起した私は、ハローワークや求人情報誌を読むようになります。
しかしいろいろな情報を見ても、なかなかピンとくるような仕事はありません。だいたい自分が何をしたいのかもわからない。そこで「私は小さい頃、何になりたかったんだろう?」と思い、昔の夢を思い出すためにアルバムや文集を読み返してみたのです。そして文集にかいてあったのが、「将来はスチワーデスになりたい」という言葉。あの『スチワーデス物語』を見て、小さい頃に抱いていた夢でした。
そのころの夢を思い出し、さらに東京進出への野望を持っていた私は、どうにかそんな条件に見合う仕事はないかと探し始めました。
そんなある日、インターネットの求人情報で見つけたのが、新幹線車内販売員の仕事でした。当時の日本レストランエンタプライズでは、まだ販売員が所属する支店は東京にしかなく、山形で仕事が終わった販売員は、宿泊施設に泊まって翌日東京に戻る、というシステムだったのです。
この情報を見た瞬間、私は両親の前で高らかに宣言しました。
「久美子、この仕事すっからよ。東京さいぐ!」
求人情報を見ただけで、私のなかではもうこの会社で働くことが決定してしまったのです!しかしそこは両親からの冷静な突込みが入りま
「ばかやろ!お前みたいなのが東京さいったら、人に騙されてだな。ろぐすっぽに・・・」
それまで不良娘として、両親にはいろいろな心配をかけてきました。そんな私が「楽しそうだから」というだけで東京に行けばどうなるか・・・。それをよくわかっていたのでしょう。結局、両親の説得もあり、地元の山形で仕事を探すことになったのです。
けれど、実は密かに心の中で「お金をためて東京さ絶対いくべ!」と決めていたのですが・・・・・。
しかしそんなやり取りから2~3週間後、思ってもみないことが起きました。偶然、新聞の広告にこんな文面を見つけたのです。
「山形新幹線でつばさレディ募集!」
(あれ、これじゃね?この間調べたのは・・・・)
それまで東京にしかなかった日本レストランエンタプライズの支店が山形にもできることになり、それにともなって地方でも販売員の募集を始めるというものでした。
「小さい頃に憧れた仕事ができる!しかも山形にいながら、毎日東京にも行ける!!」
これはもう運命だとばかりに、すぐに応募。面接を受けることになったのですが・・・・。